NO. 99 指導員は、要害のある人と一緒に喜びあえなければいけない

~多くを学んだ2日間の『太陽の家』視察~

県東南部地域の指導員有志を中心に、6月8日に埼玉県卓球バレー指導者連絡会が発足しました。来年度は越谷市で「(仮称)越谷中核市誕生記念・東日本卓球バレー大会 」を開催する予定です。そこで7月25日から26日に、埼玉県の障害者スポーツ指導員7人で大分県別府市にある社会福祉法人『太陽の家』を視察しました。

『太陽の家』は、整形外科医だった故中村裕博士が障害者の社会参加を目的に1965年に設立し、大手企業のホンダ・三菱・オムロン・デンソー等と共同出資会社をつくって、障害者の働く場づくりに取り組み、多くの人が社会復帰しています。

たとえ身体に障がいがあっても働く能力は関係なく、太陽の家では、仕事や生活の場でユニバーサルな環境づくりを実現していました。施設にはスーパーや銀行、クリニック、日帰り温泉を併設し、地域社会の一住民として普通に暮らしています。

施設のモットーは「保護より機会を」「世に心身障害者(児)はあっても、仕事に障害はあり得ない」、理念は「人間としての尊厳が保たれる社会の実現」

また、日常生活で常に介助を必要とする重度の障がい者も地域と交流を深めながら生活を楽しんでおられます。博士はリハビリテーションにスポーツを取り入れ、身体障害者スポーツにおいて、大分県身体障害者体育協会や日本身体障害者スポーツ協会の設立に参画し、日本で初めて1961年に第1回大分県身体障害者体育大会を開催しました。さらに、1975年の第1回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会(フェスピック大会)、1981年の第1回大分国際車いすマラソン大会等を成功に導き、両大会は今日まで引き継がれています。

26日、体育館で「第16回大分オープン卓球バレー大会」が開催されました。私達からも4名が審判員として参加しました。実際に試合を見せていただき、卓球バレーの技術・審判法など、ハンドブックには載っていないたくさんのことを学ぶことができました。

「指導員は、技術指導や審判をするだけでなく、障がい者にとってもっともよい機能の使い方ができるよう支援し、それぞれにあった方法で楽しめるよう、その人と一緒に喜びあえるとよい。例えば、ラケットもその人の障害に合わせて、上下を持ちやすい方にして本人のできるやり方で行えば良いのです。ゲームを楽しむことが大切。」と、ある公認審判指導員の方からの言葉が心に響きました。

 

また、佐賀県からも西九州大学の大学生が、大会スタッフの柱になり、公認審判員で参加されていました。堂々としたジャッジ裁きを、必要に応じて手話を交えてさらりとこなしている姿が印象的でした。「6年後の東京パラリンピックに是非とも何かしらに関わりたく、今できる事を少しずつ形にしています」とキラキラした笑顔で語ってくれました。
障がい者への優しい気配りがあちらこちらに溢れていた卓球バレー大会。

博士は、「スポーツは協調性を養い、忍耐と頑張りぬく精神を培う、医療でははたしえないすぐれた部分をもっている。大会を企画し、目標をもって練習に励むことが社会復帰を早める最大の方法」と。

これからの障害者スポーツの普及に関わる者として、同じ時代を生きる健常者と障がい者が共に歩める社会にますますなるよう微力ながらも推進していけたらと思います。

(広報 海老名千恵子)